Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

カテゴリ: 教育

今年は戦後70年、終戦記念日も近づいてきて関連の話題もよく耳にするようになりましが、未来志向の話よりも過去に縛られた話が多くなんだかなーという感じです。安保法制に関しても、今日は高校生がデモを行ったということが報じられていました。高校生が政治に興味を持つことはよいことかもしれませんが、私はデモに参加するよりも、もっともっと学ぶべきことがあるのではないかと思います。

と言うのも、もし私が高校生のときにこういう事があれば、きっと私もデモに参加していたのではないかと思うからです。戦後の日本の教育を普通に受けてくれば、戦争反対を唱えるのは当然ですし、真面目な生徒ほどそこにハマっていくと思うのです。

しかし、大人になり、社会の現実の中でもまれながら自ら歴史を学ぶにつれ、そうした考え方がいかに理想主義で空想的であるということを思い知らされました。もちろん、理想を追求することは否定しません。しかし、理想を描きながらもいかに現実と折り合いを付けながら物事を前に進めていくかということも非常に大事なことだと思います。

振り返ってみると、学校では理想的なことしか教わってこなかった気がします。もっともっと現実について教えてくれれも良かったんじゃないかなと思います。もっとも、それは親の役目だったのかもしれませんが。

私は生れも育ちも東京ですが、両親は沖縄です。そして私の妻はフィリピン人です。戦時中、フィリピンは日本に占領され、沖縄は戦後、アメリカに占領されました。

その前の時代を遡っても、沖縄はかつて琉球王国という一応は独立した国家でしたが、中国の冊封体制に組み込まれながらも、薩摩藩の支配下に置かれる状態でした。

フィリピンも日本の占領前はアメリカの植民地で、更にその前はスペインの植民地でした。フィリピンという国名はスペイン王フェリペに由来するものです。私の妻にもスペイン人の血が流れています。

沖縄もフィリピンも何故他国の侵略を受けたのか。それは力がなかったからです。力とは何か。それは軍事力であり、経済力でしょう。

そしてその沖縄もフィリピンは今ふたたび他国の脅威に晒されています。そう、中国からの脅威です。

フィリピンはそうした脅威を敏感に感じているため、日本の安保法制を歓迎しています。かつて自国を占領した日本に対して反対するのではなく歓迎しているのです。戦後に築きあげた両国の信頼関係があってこそのものだと思います。

沖縄はどうでしょうか。残念ながらそうした状態にはありません。アメリカとも日本とも良好な関係を築けているとは言えません。果たして沖縄はどこに向かうのでしょうか。

明治維新の後、日本は列強に負けないために富国強兵に務め発展してきましが、それが行き過ぎて道を誤ってしまいました。それは事実です。しかし、力を持たぬために他国に蹂躙された歴史を持つ国も多いという事実も知るべきでしょう。

デモが歴史を学ぶキッカケになってくれればよいですが、デモの熱気に煽られ本質を見失わないでもらいたいものです。

 

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日本では英語教育をめぐる議論は昔からずっと続いてきましたが、最近は英語を必要としている人たちと必要としていない人たちの溝が明確になってきたように思います。

これまで、互いにその溝を埋めようと自らの主張を訴え議論が続いてきたわけですが、よく考えてみるとその溝は埋める必要はなく、そこに溝があるということをハッキリと認識し、互いに住み分けていくことを考えるべきだと思うのです。

これは、先日大学改革で話題になったL型(ローカル型)経済とG型(グローバル型)経済の分け方を使えばわかりやすく考えることができます。

小学校での英語必修化の反対で良く聞かれる意見は英語を勉強しても大半の人は実際には英語を使うことはないというものです。これをL型G型で言い換えると、大半の人はL型経済の仕事に就くので英語を使うことは(観光など一部を除いて)ないということなのです。

L型であれば確かに英語を必要とすることはほとんどないでしょう。だから学ぶ必要もないといのは一理あります。しかし、一方でG型を目指す場合はどうなるのでしょう。G型を目指すには英語が必要という共通認識はあるとは思うのです。

そこで次に登場する反対派が、その中間にいる人達。英語は中学からでも十分修得できる。と主張する人たちです。

この手の主張をする人で意外に多いのは英語教師や英会話の講師といった方々です。本人が中学から英語を始めて修得していたりするので余計に中学からで十分という思いがあるようにも思えます。

この主張が一定の説得力を持つのは、英語の修得だけを考えれば中学からでももっと後からでも実際に可能だからです。必要になったときに勉強すればよいというのは確かにその通りなのです。しかし、そういうことを言い出すと全ての教科について同じことが言え、学校教育そのものを否定しかねません。

しかし、時代背景が全く異なります。かつては日本人は日本人と競っていればよかったのですが、G型は競争相手もグローバル化します。新興国や途上国のエリート層は大学入学時点でそれなりの英語力を身につけています。なぜならそれらの国では高等教育は英語で行われているからです。アジアの英語先進国フィリピンやシンガポールはもちろん、一般的に英語を話す人の少ないタイにおいても大学へ進学する層はみんな高校卒業時点でかなり英語はできます。

そうした世界の状況をみれば英語は中学からで十分などと悠長なことは言ってられないのです。G型を目指すならばできるだけ早い段階で英語を身につけ、高校くらいで日常会話は問題なくできるくらいになっている必要があるのです。G型においては英語ができることは強みでもなんでもありません。できて当たり前、その上でどのような専門性や何ができるかが問われるのです。

その点で、文科省が掲げる「高校生で英語で議論できるように」という目標は良い目標だと思いますし、そのためには小学校から英語を始める必要性があるということにもなります。G型人材育成のためには小学校から英語を学ぶ必要はあるのです。

G型は少数で大半はL型だから公立の小学校で英語をやる必要はないという考えは、言い換えると公教育ではG型人材を育成する必要はないということです。しかし、中高での英語廃止を訴えているわけでもないので、その主張には矛盾があるのです。

英語の必要性が増してきたと言っても、日本人全員が英語を身につけなければならないわけではありません。しかし必要な人にとってみれば従来の学校教育では対応しきれなくなっているのも事実です。英語を必要とする人としない人の溝は深く大きくなっているのです。

ではどうすべきか?私は小・中学校では英語を必修とし、高校ではG型とL型に分け、G型は徹底的に英語を鍛え、L型は選択制にすればよいと思います。

小学校の時点でGとLの選択をしなければならないというのは現実的ではありません。子供の可能性を潰すだけです。一方、高校生くらいになれば自分の適性、興味などからある程度の選択はできるようになります。将来役に立つかどうかという基準で履修科目を選択するのは高校くらいからではないでしょうか。

英語を必要とする人に十分な教育機会を設けずに、英語を必要としない人に少しでも英語を身につけてもらおうと努力するような今の日本の学校教育は誰のための教育なんだろうかと思ってしまいます。

ここのところ、どういう風の吹き回しか息子が英語に興味を持ち始めました。3歳までは英語中心で育ったのですが、保育園に通うにようになってからはすっかり日本語中心となり、一時期は英語そのものを拒絶するようになってしました。それがここのところ英語に興味を示し、昨日は学校から英語の学習本を借りてくるようになりました。

ただ、困ったことにその本にはカタカナが振ってあるのです。カタカナといっても、いわゆる昔ながらのローマ字読み的なカタカナ英語ではなく、本来の発音にできるだけ近づけたものになっているのです。しかし、やはり限界があります。そもそも日本語にない発音は表現できず、そこはどうしてもカタカナ英語になってしまっているのです。カタカナのフリガナには小学校英語のジレンマを感じずにはいられません。

今、小学校英語はどちらかいうと英語に慣れるということに主眼が置かれ、発音や文法など細かいことは教えない方がよいという考えが主流のようです。

しかし私はまず第1に発音だと思います。そしてアルファベットやフォニックスを教えて学習の初期段階で脱カタカナを果たすべきだと思います。文法(理論)は従来通り中学校からでいいと思います。

専門家の中には小学校での発音練習に対し授業時間との兼ね合いから否定的な意見もあるようですが、そもそも授業時間だけで修得できるわけがありません。漢字の練習や計算練習と同様に毎日宿題として取り組む課題だと思います。もちろん、あまり発音にこだわり過ぎて英語嫌いを量産しては意味がありませんが、教えなくてよいというものではないはずです。修得には時間が掛かるので、むしろ早い段階から教え、日々練習を積み重ねていくべきだと思います。

発音重視はネイティブのように話せるようになるということを目的にするのではありません。 英語の学習効率を上げるため必要だと考えるからです。

リスングが苦手だという人は多いと思います。リスニング力不足は耳が英語を聞き取れないからだ考えられがちですが、原因は耳だけではありません。実際に自分で発音できないから聞き取れないからでもあります。また、単に語彙不足というのも大きな原因です。

リスニング力を向上させようと思えば、正しい発音を身につけ、語彙力をアップさせることが近道です。ただひたすら英語を聴き続けても、この2つがなければ言葉とは認識せず、ただの音となって右から左へ抜けていってしまうのです。 

正しい発音を身につけ、少しでも英語が聞き取れるようになれば、「わかる」、「聞こえる」という実感を得て言葉として認識するようになります。また、意味を知らない単語に遭遇しても、その意味を調べ覚えていくことができるようになり、語彙力も自然と向上していくのです。

英語の発音は口の動き、唇の使い方、舌の使い方、どれをとっても日本語とは異なります。実際に口を動かして練習しなければ身に付かないものなのです。今はYoutubeなどに学習用動画が多くあります。それらを活用すれば昔に比べ修得もはるかに容易です。

こうして正しい発音を身に付け、英単語を少し覚え、リスニング力が向上してくると、英語を学習する機会は格段に増えます。日本に住んでいても日常生活の中で英語に触れる機会はたくさんあります。テレビやラジオではCMなどを中心に英語が使われていることは少なくありません。また、歌を通して英語に触れることもあるでしょう。例えば今年ヒットした「アナと雪の女王」の「Let it go」などは良い題材でしょう。

肩肘張って「勉強するぞ」なんて思わなくても、耳に入ってきた英語を少しでも「あ、この単語知ってる」とか「わかる」というような経験を経て覚えてくことができるのです。

文字を覚えることでも同様の効果があります。日本に住んでいても看板等で英語を目にすることは非常に多いです。人は文字を見れば読もうとするものです。教科書では覚えられなかったものが、街で目にした英語は覚えたりするものです。 

小学生の頃は日本語も含め、言葉の発達段階です。新しい言葉に遭遇したときは「それ何ていう意味?」と疑問に持つのは本能に近いものがあります。英語も言葉として認識さえできれば日本語と同様の疑問を持つはずす。何語であれ、小学生の頃は語彙を増やしていくとてもいい時期なのです。 この時期を逃すのは非常にもったいないと思うのです。

日本では英語を使う機会がほとんどないと言われています。確かにその通りだと思います。しかし、学習する機会はたくさんあります。日々何気なく過ごしている日常の中にもたくさんあります。子供にはそこから自ら学び取る力を身につけさせてあげることが大事だと思います。

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