Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

カテゴリ: 全般

安保法案に反対する人たちに関して別の角度から考えてみたいと思います。

よく聞く話として、例えばお隣の中国人や韓国人評として、個人レベルでは友人もいるし、皆いいだということこはよく聞きます。私も何人か知り合いがいますが、皆いい人ばかりです。それぞれ自国の欠点も認識していたりもします。しかし、個人ではそう思っていても国という単位になるとそう簡単には変わっていきません。

それは日本も同様です。日本人も自国の欠点について色々語りますす、もう少し身近な話をすれば、自分の会社の欠点をよく語ります。では自分から変えていけるかというと、それは簡単ではありません。個人の力で組織や集団を変えていくのは非常に難しいのです。

例えば安保法案反対のデモに関して、友人同士で参加することになったとしましょう。ところがそのうちの1人のAさんは実は法案に賛成です。だからと言って、賛成派のAさんは友人に「デモに参加しない」と言えるでしょうか?「自分は賛成派だ」と伝えることができるでしょうか?

こういう場合、多くの日本人は自分の考えを押し殺して参加するのではないでしょうか?よほどの理由がない限り、参加しなかったことに対して後で色々言われる可能性があります。正直に自分は賛成派だと言えば、裏切り者呼ばわりされ、そこで友人関係が途絶えるかもしれません。

反対デモを行う人たちは民主主義とか言論の自由を語ることが多いですが、実は自分たちの周りで物言えぬ雰囲気を作っているかもしれないのです。集団の意見というのは、一度形成されると容易には変えられません。そしてそれがイデオロギーとなっていくのです。

安保法案をめぐる議論をみても、おそよ議論と呼べるようなものはなく話しは平行線です。

イデオロギーの対立は話し合いでは解決できません。最後は1か0の選択です。その選択は日本では今でこそ選挙によって行われていますが、かつては戦争でした。今も内戦が続く国もあります。国と国同士も外交によって解決することが望ましいですが、それが不可能な場合は戦争へと発展します。

安保法案反対派の人たちは、奇しくも自らが世の中には話し合いが通じない人たちがいるということを証明しているのです。

そうした相手と交渉を自分たちに有利に進めるためには何が必要か?それは力です。力とはなんでしょうか?国同士では軍事力や経済力でしょう。日本国内においては選挙によって得た議席数です。

安保法案反対派はその議席数が足りないのです。反対派からは野党の得票を合わせれば与党を上回る選挙区もあるというような意見も聞きます。ならば野党で一つにまとまればよいのです。なぜできないか?それはそこにもイデオロギーの対立があるからです。選挙制度のせいにすべきではありません。

反対派の人たちが世の中は話し合いですべて解決できるというのならば、まずは自分たちがその手本を示してほしいものです。

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今年は戦後70年、終戦記念日も近づいてきて関連の話題もよく耳にするようになりましが、未来志向の話よりも過去に縛られた話が多くなんだかなーという感じです。安保法制に関しても、今日は高校生がデモを行ったということが報じられていました。高校生が政治に興味を持つことはよいことかもしれませんが、私はデモに参加するよりも、もっともっと学ぶべきことがあるのではないかと思います。

と言うのも、もし私が高校生のときにこういう事があれば、きっと私もデモに参加していたのではないかと思うからです。戦後の日本の教育を普通に受けてくれば、戦争反対を唱えるのは当然ですし、真面目な生徒ほどそこにハマっていくと思うのです。

しかし、大人になり、社会の現実の中でもまれながら自ら歴史を学ぶにつれ、そうした考え方がいかに理想主義で空想的であるということを思い知らされました。もちろん、理想を追求することは否定しません。しかし、理想を描きながらもいかに現実と折り合いを付けながら物事を前に進めていくかということも非常に大事なことだと思います。

振り返ってみると、学校では理想的なことしか教わってこなかった気がします。もっともっと現実について教えてくれれも良かったんじゃないかなと思います。もっとも、それは親の役目だったのかもしれませんが。

私は生れも育ちも東京ですが、両親は沖縄です。そして私の妻はフィリピン人です。戦時中、フィリピンは日本に占領され、沖縄は戦後、アメリカに占領されました。

その前の時代を遡っても、沖縄はかつて琉球王国という一応は独立した国家でしたが、中国の冊封体制に組み込まれながらも、薩摩藩の支配下に置かれる状態でした。

フィリピンも日本の占領前はアメリカの植民地で、更にその前はスペインの植民地でした。フィリピンという国名はスペイン王フェリペに由来するものです。私の妻にもスペイン人の血が流れています。

沖縄もフィリピンも何故他国の侵略を受けたのか。それは力がなかったからです。力とは何か。それは軍事力であり、経済力でしょう。

そしてその沖縄もフィリピンは今ふたたび他国の脅威に晒されています。そう、中国からの脅威です。

フィリピンはそうした脅威を敏感に感じているため、日本の安保法制を歓迎しています。かつて自国を占領した日本に対して反対するのではなく歓迎しているのです。戦後に築きあげた両国の信頼関係があってこそのものだと思います。

沖縄はどうでしょうか。残念ながらそうした状態にはありません。アメリカとも日本とも良好な関係を築けているとは言えません。果たして沖縄はどこに向かうのでしょうか。

明治維新の後、日本は列強に負けないために富国強兵に務め発展してきましが、それが行き過ぎて道を誤ってしまいました。それは事実です。しかし、力を持たぬために他国に蹂躙された歴史を持つ国も多いという事実も知るべきでしょう。

デモが歴史を学ぶキッカケになってくれればよいですが、デモの熱気に煽られ本質を見失わないでもらいたいものです。

 

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トヨタ自動車が倒れる日、それはそう遠くないかもしれない。最近、私は強くそう思うようになってきました。アベノミクスがスタートしてから急激に進む円安の助けもあって14年度の利益が2兆円にも登る日本を代表する企業のトヨタ自動車。多くの人は絶頂期にあるトヨタが倒れるなんて想像もできないでしょう。しかし、これからの10年は自動車業界にとって非常に厳しい10年になるのでしょう。もちろん、それはトヨタ1社ということではなく、全ての自動車メーカー、いや、あらゆる自動車産業を巻き込んだ大転換期になるというものなのです。

日本の政治家や官僚は円安にさえすれば国内に産業がもどって日本は復活できると信じているようですが、日本の製造業の中心である自動車産業そのものが縮小に向かっていくとすれば、最後の悪あがきでしかないのです。そうした斜陽化する産業の担い手にするための今の学校教育なども考え直す時期ではないでしょうか。

これだけではまださっぱりわからないでしょう。リーマン・ショックやアメリカでのリコールバッシング、東日本大震災など、度重なる逆風にも負けずに再び復活してきたトヨタ自動車。このトヨタを支えてきたのはいわゆる「カイゼン」です。 ひらすら作業効率をあげ、コストダウンを図ることによって収益を確保するというのが「カイゼン」です。しかし、これから10年で起こることはそうした「カイゼン」では対処できないものなので、自動車産業の根底から覆るような変化が起こっていく からなのです。

では具体的にどのようなことが起こるのでしょうか。

マイカー時代の終焉
 それはマイカー時代の終焉です。現在、Googleが積極的に研究を進めている自動車の自動運転技術。これが完成すると人間は自動車の運転から解放されるのです。「いやいや、自動運転だけではマイカー時代は終わらないでしょう。」という人もいるでしょう。しかし、これに配車システムが加わったらどうでしょう?スマートフォンから車を呼び出せば指定の場所まで迎えに来てくれるのです。とても便利ですよね。

配車サービスでは、Uberというタクシー配車サービスが注目されています。(関連記事) 評価額が400億ドルにも昇るそうで、某ニュースキュレーション界隈でも驚きの声が多かったように思います。しかしこの配車サービスも今のクルマ社会の常識を根底から覆す強力なイノベーションになる可能性が高いのです。単にタクシー会社の延長ではありません。GoogleやAmazonに匹敵するものであると思います。

自動運転と配車サービスが組み合わさると、人間の運転手が不要なのでサービス料金が一気に下がります。そうすると初乗り100円とか150円くらいで自宅に迎えに来てくれて、最寄りの駅まで送ってくれるとかになるのです。バスのように時刻表を気にする必要はありません。

カーシェアリングというのがありますが、今はまだあまり普及していません。近くにクルマが置いてあればよいですが、それほど数は多くないですし、そもそも従来のレンタカーと大差ありません。しかし、自動運転と配車サービスがあれば解決です。一気にカーシェアリングが進むでしょう。わざわざクルマを借りに行く必要がないですし、返す必要もないのです。目的地で人を下ろした車両は、次の乗客を迎えに行くのです。

どうでしょうか?それでもマイカーを持ちたいという人はどれくらいいるでしょうか?自動運転が完全に普及すると、公道での人間の運転は禁止されるでしょう。何故なら自動運転にとっての一番の障害は人間だからです。自動車の運転はサーキットでしかできなくなるのです。それは乗馬が馬場でなければできなくなってしまったのと同じです。

カーシェアリングが進めばクルマの絶対数が減ります。駐車場に置きっぱなしということがなくなるからです。自ずと自動車の生産台数は減り産業規模は縮小します。

また、マイカーでなければデザインや車種での差別化も意味のないものとなります。現在においては高級車の所有はステイタスシンボルですが、そうした傾向も弱まるでしょう。自動車の製品としての付加価値のほとんどはこうしたブランドに依るところが大きいので、それがなくなるということは自動車会社の利幅も大きく減少することとなり、あまり利益を生まない産業へとなってしまうでしょう。

自動運転と配車システムによってカーシェアリングが進み、クルマ社会の有り様が全く変わってしまうのです。もし、このようなことが実現できれば自動車会社にとっては痛手でしょうけど、人々にとっては交通事故の心配のない安心した社会になるのです。

次世代カーEV 対  FCVに決着
 自動運転と配車システムによるカーシェアリングによって、次世代カーの争いにも決着を付けることができます。EVの弱点は充電時間の長さと航続距離の短さ言われていますが、それもこれら技術によって解決できるのです。それは利用者が充電時間を気にする必要がなくなるからです。EVの充電状態は配車システムによって監視され、充電が必要であれば最寄りの充電ステーションで充電するのです。そして道路には常に需要に見合った台数の充電された車両が供給されているのです。

また、航続距離についても現在は200km程度で今後400kmくらいまで伸ばそうと頑張っているようですが、200kmも走れば十分だと思います。200kmはどれくらいか?東京から東海道で静岡の先、浜松の手前くらいでしょうか。日帰りで出かける距離はせいぜいこの程度ではないだろうか?名古屋まで行けば300kmだが、途中トイレ休憩も無しで300kmもクルマで行くのは、自分で運転しなくても疲れてしまう。途中で1度降りるなら、充電済みの車両に乗り換えればいいだけです。

EVになれば自動車のコモディティ化が進み、中国などの後発メーカーも一気に追い付いてきます。

FCVはインフラ普及に大きな課題がある上に、こうしたカーシェアリング社会になれば充填時間の短さや航続距離の長さのメリットもほとんど役に立たないのです。一部、長距離貨物輸送用として技術は残る可能性もありますが、少なくとも人員輸送用としてはメリットがないのです。

 もちろん、細かい議論はたくさんあるでしょうし、10年後にこうした技術が普及しているかどうかもわかりません。しかし、IT企業は確実にこうした分野を狙っています。そして自動車メーカーは自らの産業を縮小させるようなイノベーションは起こせないのです。


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