Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

カテゴリ:教育 > ことば・英語

日本では英語教育をめぐる議論は昔からずっと続いてきましたが、最近は英語を必要としている人たちと必要としていない人たちの溝が明確になってきたように思います。

これまで、互いにその溝を埋めようと自らの主張を訴え議論が続いてきたわけですが、よく考えてみるとその溝は埋める必要はなく、そこに溝があるということをハッキリと認識し、互いに住み分けていくことを考えるべきだと思うのです。

これは、先日大学改革で話題になったL型(ローカル型)経済とG型(グローバル型)経済の分け方を使えばわかりやすく考えることができます。

小学校での英語必修化の反対で良く聞かれる意見は英語を勉強しても大半の人は実際には英語を使うことはないというものです。これをL型G型で言い換えると、大半の人はL型経済の仕事に就くので英語を使うことは(観光など一部を除いて)ないということなのです。

L型であれば確かに英語を必要とすることはほとんどないでしょう。だから学ぶ必要もないといのは一理あります。しかし、一方でG型を目指す場合はどうなるのでしょう。G型を目指すには英語が必要という共通認識はあるとは思うのです。

そこで次に登場する反対派が、その中間にいる人達。英語は中学からでも十分修得できる。と主張する人たちです。

この手の主張をする人で意外に多いのは英語教師や英会話の講師といった方々です。本人が中学から英語を始めて修得していたりするので余計に中学からで十分という思いがあるようにも思えます。

この主張が一定の説得力を持つのは、英語の修得だけを考えれば中学からでももっと後からでも実際に可能だからです。必要になったときに勉強すればよいというのは確かにその通りなのです。しかし、そういうことを言い出すと全ての教科について同じことが言え、学校教育そのものを否定しかねません。

しかし、時代背景が全く異なります。かつては日本人は日本人と競っていればよかったのですが、G型は競争相手もグローバル化します。新興国や途上国のエリート層は大学入学時点でそれなりの英語力を身につけています。なぜならそれらの国では高等教育は英語で行われているからです。アジアの英語先進国フィリピンやシンガポールはもちろん、一般的に英語を話す人の少ないタイにおいても大学へ進学する層はみんな高校卒業時点でかなり英語はできます。

そうした世界の状況をみれば英語は中学からで十分などと悠長なことは言ってられないのです。G型を目指すならばできるだけ早い段階で英語を身につけ、高校くらいで日常会話は問題なくできるくらいになっている必要があるのです。G型においては英語ができることは強みでもなんでもありません。できて当たり前、その上でどのような専門性や何ができるかが問われるのです。

その点で、文科省が掲げる「高校生で英語で議論できるように」という目標は良い目標だと思いますし、そのためには小学校から英語を始める必要性があるということにもなります。G型人材育成のためには小学校から英語を学ぶ必要はあるのです。

G型は少数で大半はL型だから公立の小学校で英語をやる必要はないという考えは、言い換えると公教育ではG型人材を育成する必要はないということです。しかし、中高での英語廃止を訴えているわけでもないので、その主張には矛盾があるのです。

英語の必要性が増してきたと言っても、日本人全員が英語を身につけなければならないわけではありません。しかし必要な人にとってみれば従来の学校教育では対応しきれなくなっているのも事実です。英語を必要とする人としない人の溝は深く大きくなっているのです。

ではどうすべきか?私は小・中学校では英語を必修とし、高校ではG型とL型に分け、G型は徹底的に英語を鍛え、L型は選択制にすればよいと思います。

小学校の時点でGとLの選択をしなければならないというのは現実的ではありません。子供の可能性を潰すだけです。一方、高校生くらいになれば自分の適性、興味などからある程度の選択はできるようになります。将来役に立つかどうかという基準で履修科目を選択するのは高校くらいからではないでしょうか。

英語を必要とする人に十分な教育機会を設けずに、英語を必要としない人に少しでも英語を身につけてもらおうと努力するような今の日本の学校教育は誰のための教育なんだろうかと思ってしまいます。

ここのところ、どういう風の吹き回しか息子が英語に興味を持ち始めました。3歳までは英語中心で育ったのですが、保育園に通うにようになってからはすっかり日本語中心となり、一時期は英語そのものを拒絶するようになってしました。それがここのところ英語に興味を示し、昨日は学校から英語の学習本を借りてくるようになりました。

ただ、困ったことにその本にはカタカナが振ってあるのです。カタカナといっても、いわゆる昔ながらのローマ字読み的なカタカナ英語ではなく、本来の発音にできるだけ近づけたものになっているのです。しかし、やはり限界があります。そもそも日本語にない発音は表現できず、そこはどうしてもカタカナ英語になってしまっているのです。カタカナのフリガナには小学校英語のジレンマを感じずにはいられません。

今、小学校英語はどちらかいうと英語に慣れるということに主眼が置かれ、発音や文法など細かいことは教えない方がよいという考えが主流のようです。

しかし私はまず第1に発音だと思います。そしてアルファベットやフォニックスを教えて学習の初期段階で脱カタカナを果たすべきだと思います。文法(理論)は従来通り中学校からでいいと思います。

専門家の中には小学校での発音練習に対し授業時間との兼ね合いから否定的な意見もあるようですが、そもそも授業時間だけで修得できるわけがありません。漢字の練習や計算練習と同様に毎日宿題として取り組む課題だと思います。もちろん、あまり発音にこだわり過ぎて英語嫌いを量産しては意味がありませんが、教えなくてよいというものではないはずです。修得には時間が掛かるので、むしろ早い段階から教え、日々練習を積み重ねていくべきだと思います。

発音重視はネイティブのように話せるようになるということを目的にするのではありません。 英語の学習効率を上げるため必要だと考えるからです。

リスングが苦手だという人は多いと思います。リスニング力不足は耳が英語を聞き取れないからだ考えられがちですが、原因は耳だけではありません。実際に自分で発音できないから聞き取れないからでもあります。また、単に語彙不足というのも大きな原因です。

リスニング力を向上させようと思えば、正しい発音を身につけ、語彙力をアップさせることが近道です。ただひたすら英語を聴き続けても、この2つがなければ言葉とは認識せず、ただの音となって右から左へ抜けていってしまうのです。 

正しい発音を身につけ、少しでも英語が聞き取れるようになれば、「わかる」、「聞こえる」という実感を得て言葉として認識するようになります。また、意味を知らない単語に遭遇しても、その意味を調べ覚えていくことができるようになり、語彙力も自然と向上していくのです。

英語の発音は口の動き、唇の使い方、舌の使い方、どれをとっても日本語とは異なります。実際に口を動かして練習しなければ身に付かないものなのです。今はYoutubeなどに学習用動画が多くあります。それらを活用すれば昔に比べ修得もはるかに容易です。

こうして正しい発音を身に付け、英単語を少し覚え、リスニング力が向上してくると、英語を学習する機会は格段に増えます。日本に住んでいても日常生活の中で英語に触れる機会はたくさんあります。テレビやラジオではCMなどを中心に英語が使われていることは少なくありません。また、歌を通して英語に触れることもあるでしょう。例えば今年ヒットした「アナと雪の女王」の「Let it go」などは良い題材でしょう。

肩肘張って「勉強するぞ」なんて思わなくても、耳に入ってきた英語を少しでも「あ、この単語知ってる」とか「わかる」というような経験を経て覚えてくことができるのです。

文字を覚えることでも同様の効果があります。日本に住んでいても看板等で英語を目にすることは非常に多いです。人は文字を見れば読もうとするものです。教科書では覚えられなかったものが、街で目にした英語は覚えたりするものです。 

小学生の頃は日本語も含め、言葉の発達段階です。新しい言葉に遭遇したときは「それ何ていう意味?」と疑問に持つのは本能に近いものがあります。英語も言葉として認識さえできれば日本語と同様の疑問を持つはずす。何語であれ、小学生の頃は語彙を増やしていくとてもいい時期なのです。 この時期を逃すのは非常にもったいないと思うのです。

日本では英語を使う機会がほとんどないと言われています。確かにその通りだと思います。しかし、学習する機会はたくさんあります。日々何気なく過ごしている日常の中にもたくさんあります。子供にはそこから自ら学び取る力を身につけさせてあげることが大事だと思います。

昨年末に小学校での英語の教科化・前倒しが発表されてからしばらく経ちますが、この間ネット上でも様々な意見が見受けられ、また、文科省の有識者会議も回を重ね現状の問題点や目指すべき姿など様々な観点から議論されています。

しかしながら、未だに小学校から英語を学ぶことに否定的、消極的な意見はとても根強いものがあります。 「日本語が大事だ」、【中学からでも十分身につく」、「英語だけできてもしょうがない」など、一見すると確かにその通りと思える意見です。それら一つ一つの意見は決して間違っているわけでもありません。ただ、それらは小学校でやることを否定する理由にはならないと思うのです。

英語は中学からでは遅い

 英語を中学校から始めても身に付か否かと問われれば、身に付くと思います。事実、英語を話せる今の大人のほとんどは帰国子女を除けば中学から学び始めた人です。時期的な目標を設定せずに単に身に付くか否かという観点で考えれば、中学校から始めても問題はないのです。

それでも私が中学からでは遅いと考える理由はいくつかあります。

まずは効率が悪い。これまで、日本において英語を勉強する一番の理由は大学受験です。中学で基本的な文法を学んだあとは高校でも英語を当然やるのだけれどもその中心は受験対策になります。そうすると、実用的な英語の習得よりも受験対策に偏ってしまい、更には受験が終われば忘れてしまって全く身に付いていないということになるのです。そしていざ話す必要性が出てきたときに最初からやり直して「英会話は中学英語で十分」ということになるのです。これは前回も述べたことです。もう少し中学英語と受験英語の間にある空白地帯を埋めてあげれば修得もスムーズになると思うのです。

また、大学入試改革も検討されているようではありますが、私は受験のために英語の学習に時間を費やすということ自体に無駄を感じるのです。これは「英語だけできてもしょうがない」という意見に通じるものがあるのです。高校時代は英語の学習をするのではなく、英語で学習するという状況を作っていくべきだと思うのです。特に数学や物理・化学など自然科学の分野は英語を取り入れていくべきだろと考えます。

文科省も高校の英語の授業は英語で行うことを目標としているので、方向性としては同じと思います。

そうなると中学卒業の段階である程度の会話能力が身に付いていなければならなくなります。果たして中学から英語を始めてその域まで修得することができるでしょうか?英語漬けにでもなれば可能かもしれませんが、現実的ではありません。小学校に前倒しする理由はこれなのです。

このままでは教育格差が広がる

ことあるごとに格差拡大は批判の的になるのですが、英語教育の格差拡大には寛容な人が多いことに驚きます。かつて我々が育った時代は、自分の競争相手は日本に住む同じ年の人だけでした。英語も中学校に入ってからよーいドンで始めるのです。これであれば何も問題がありません。

しかし、今は、少し教育に熱心だったり、裕福だったりすれば幼児期から英語教室に入ったり、教材を買ったりと何かしら小さい頃から英語に触れていくのです。もっとも、それで皆が話せるようになるわけではありませんが、スタート地点に大きな差ができているのです。さらには私立の小学校などで英語教育に熱心なところに入れば更に差が広がります。

それでもまだ日本人だけが相手なのであれば大多数の人はよーいドンでスタートできます。

ところが、今の時代はグローバルな時代です。競争相手は日本人だけではないのです。同世代の非英語圏(特に新興国)の人たちは高校生くらいになればかなり英語を話せます。特に大学へ進学するようなエリート層は英語は必須科目でしょう。

少子化により学生数の減少に歯止めをかけるために留学生の受け入れに必死の日本の大学のターゲットはこうした新興国のエリート達です。優れた大学ほどこうした優秀な留学生を集め、日本の学生と切磋琢磨し成長していくのです。日本に来た留学生たちは皆優秀ですからもちろん日本語も覚えるでしょうけど、同時に英語も十分に使いこなせるのです。グローバル化を目指す日本の大学も授業を英語で行う方向に進んでいます。

こうなると、英語のできない日本人は日本人だけが集まる大学へ行って閉鎖的な雰囲気の中で日々を過ごすしかありません。それはある面では心地の良いものかもしれません。しかし、その環境では決してグローバルとか多様性といった時代が求めるものを学ぶことはできません。ガラパゴス化が進むだけです。

このままでは小中高と公立に通う子たちは、私立に通い英語を身につけてくる子と大学に入学する頃には圧倒的な差がつき、グローバルな環境で切磋琢磨する資格さえ与えられなくなるかもしれないのです。

もちろん、全ての人が大学へ行くわけではありません。しかし、だからと言って小学校での英語に反対するということは、大学へ行きたいと考えている子供たちの可能性を潰すことになるのです。公立出身では大学進学は諦めた方が良いなんてことになりかねません。それでも大学進学への意志がない人達に配慮するのであれば、英語は選択式にすべきでしょう。私は小学校の時点でその選択をさせるのは決して良いことだとは思いませんが。

教える側の体制不足はICTの活用で補え

教師の力量不足など教える側の体制が整っていないことを理由に反対する意見も多いですが、それは子供たちが英語を学ばなくて良い理由にはならないと思います。もちろん様々な課題が山積しているとは思いますが、それでも一歩づつ進めていくべきです。週一では意味がないとも言われます。たしかにそうでしょう。しかし、英語の授業があるかないかは子供たちに対して「英語は学ぶ必要があるもの」というメッセージなのです。ないものねだりをしても始まりません。今あるなかで何ができるか知恵を絞るべきでしょう。

そこで活用すべきはICT、デジタル教材です。 最近はデジタル教材も注目されていますが、様々な教科の中で最も相性が良いのが言語学習だと思います。それは外国語だけでなく、母国語も含めてそう言えると思います。ことばの修得は突き詰めていくと反復練習です。単語アプリで単語を覚え、動画でお気に入りの話を毎日繰り返し見ればどんどん覚えていきます。そして、週1回とか2回とかアウトプットの機会を設けて上げれば更に定着していくはずです。スマホが言葉の発達に与える影響についてはこちらの記事を読んでいただければと思います。

授業はアウトプットの機会なのです。とはいえ日本人の先生では英語が話せないし、ALTも十分に用意できないというかもしれません。そこはICTの出番です。ネットでつなげばALTを確保できない地域でも近い環境で授業ができます。そして、年に1回くらいはリアルで授業ができるような機会を設けて上げればよいのではないでしょうか。

まとめ

英語を必要とする時期が前倒しされている以上、学び始める時期も前倒しするのは当然でしょう。そして、ICTの発達により言語を修得するハードルはどんどん下がっています。こうなると小学校で英語を学び始めることを反対する理由はあまりないと思うのです。

他の教科の学習時間が減るという声もあるかもしれません。時間が足りないなら減らせば良いのです。計算練習も漢字の書き取りも今やあまり時間をかけてやることではありません。少なくとも学校の授業でやることではないと思います。こうした答えの決まっている反復練習はデジタルに任せればよいのです。

こう考えてくると小学校の英語授業の前倒しというのは、ICTの活用やアウトプット重視など21世紀型教育への転換の試金石に思えてきました。

 

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