Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

カテゴリ:教育 > キャリア教育

入試シーズンも終えこれからは卒業、入学といったイベントが続きます。そうした中、ここのところ教育関連の話題が多かったように思います。

まずは大学入試へ親が付き添う件

 東北大2次試験、バス満員受験生乗れず 同行の親増加で(朝日新聞)
 
このニュースに対して自立していないなどの批判が出る一方、親の付き添いは昔からあったという声もありました。子供が自立していないのか、親が子離れできていないのかわかりませんが、私個人の考えではそれくらいの年齢なら一人で行くべきだろうと思います。自分が子供なら親について来て欲しくないですし。一方、付き添いは以前からあるという声に対して思うのは、言ってみれば日本の教育(親の意識も含め)は大学入試偏重という状況が全く変っていないということです。

知識を詰め込むだけの教育ではダメだということが言われて久しいですが、そうして導入したゆとり教育も失敗の烙印を押され脱ゆとりへと向かいました。そして最近では入試制度改革が叫ばれています。元参議院議員の鈴木寛氏が現状の入試の問題点を指摘しています。

早稲田の入試が悪いわけじゃない!社会全体の関与で教育改革に好循環を

この中では、今の大学入試が必ずしも知識一辺倒ではなく思考力を問う良問も多くある。ただ、一方で一部私大では知識偏重もあり、それは受験料が大事な収益源という私大の抱える構造的な問題もあると指摘しています。

同様のことは高校にもあてはまります。本来、教育の目指すべきところは大学入試ではありません。しかしながら、生徒を集めるためには大学への進学率、大学ごとの合格実績、こういったところが保護者の選択基準になります。そうすると、学校側は入試だけではダメだと思いながらも入試を意識したカリキュラムを組むようになってしまうのです。
 
学習塾はもっと露骨です。入試結果が出揃った2月の終わり頃からは「○○高校○人合格」といった張り紙が貼りだされているのを多く見かけます。

結局のところ日本の教育は大学受験を中心に回っているので、一人だけそこを外れて独自の道を行くのはとても勇気がいります。一方で、そうして大学入試で身に付けた知識の大半も多くの人は社会に出てから使わずにいるのです。

ブロガーちきりんさんの提言はこうした問題意識からのものだと思います。

下から7割の人のための理科&算数教育

ちきりんさんの狙い通り?この件に関して賛否両論いろいろ出てきたようですが、私の率直な感想は学校に期待し過ぎかななと思いました。時間は有限で、あれもこれもできないから役に立たない教養よりも実学を教えよということのなのですが、実学というのもこれは非常に範囲が広いもので、どれを教えるべきかというの意見をまとめるだけで大仕事。おそらくまとまらないでしょう。また、実学の場合、教える中身も刻一刻と変わっていくものだと思います。となると、そういうものは教わるのではなく、自分で情報を集めて整理するしかありません。しかしそのためにはある程度の基礎能力が必要です。

そうした基礎能力を養うのが義務教育であり、現状で足りない部分もあるとは思いますが、義務教育の範囲における数学はそうした基礎能力を養うよい題材だと思います。

そして逆説的ですが、ちきりんさんの言う7割の人は学校で実学的なことをいくらあれこれ教えようとしても、その必要性を感じなければ覚えようとしないのではないかと思います。そもそも座学がキライなんだと思うのです。そういう人はいつまでも学校に通うのではなく、いち早く社会に出て実戦を積みながら学ぶ方がいいのではないかと思います。そういう観点から高校の普通科を減らして専門高校を増やすというのはいいかもしれません。

いずれにせよ、みんながみんな揃って大学を目指すという状況は変えていくべきでしょうし、親の観点からも子供を大学入学を目標に育てるのではなく、その先を見据えながら育てていくべきだと思います。そうなると偏差値がどうのとか近視眼的な評価がなくなり、自分の子は何が好きなのか、何が得意なのか、何だったら一生懸命できるのかとか、そういう見方になっていきます。そういうものの中から将来仕事に結びつくような能力を発見し伸ばしてあげることができれば就職で困ることもないでしょう。

また、最近では受験だけでなく、就活も親が協力する時代のようです。エントリーシートの書き方や面接の練習などで親がアドバイスしたり練習台になる例もあるようです。その記事のよれば 大抵の場合、親の過干渉ということですが、その状況は現状の大学受験の延長にあるものだと思います。

みんなと同じようにやっていると何となく安心ですが、実はそこが落とし穴です。繰り返しますが自分だけ違うやり方をするのはとても勇気がいります。しかしその一歩を踏み出さなければ状況は変わりません。

最近、マスコミも反転授業について取り上げることが多くなり、その言葉自体は世に浸透してきたと思います。私も半年程前に反転授業について着目し当ブログで取り上げたことがありますが、今思えば反転授業を少し過大評価していたのかなとも思います。

というのも、以前、カーン・アカデミーの創設者のサルマン・カーン氏のインタビュー記事で反転授業のことを評して、一つの方法だけれどもそこがゴールではない。といった趣旨のことを言っていて、そのとき私はどこが足りないのだろうと思っていました。そこでカーン氏の著書も読んでみました。

この本ではカーン・アカデミー創設へのいきさつから始まりカーン氏が目指す教育の姿まで語られており、また、もとも教育の専門家ではないので私達一般人と同じ視線で教育を語っている点が魅力です。そして目指す教室の姿として反転授業をもっともっと踏み込んだ「みんなひとつの教室」を提唱しています。

最初にこれを読んだとき、それは反転授業の延長にあるのではないか?と思っていたのです。しかし、日本での反転授業の実践例やそれにまつわる議論を見ていると、反転授業はあくまで現状の教育システムを前提とした改善策に過ぎず、その延長にカーン氏が目指す「みんなひとつの教室」はないんだということが理解できました。そしてそれは私が可能性を感じている未来の姿でもないのではなかったのです。

私が可能性を感じた未来の教育はカーン氏の言う「みんなひとつの教室」とほとんど同じで、もちろん、あちらの方がスケールが大きいのですが、基本的な考え方としては知識の習得はICTを活用した自学自習を中心として、教室では互いにインスピレーションを刺激し合いながら成長していくというものです。また、決まったカリキュラムをこなすのではなく、それぞれが自分の興味に沿って学んでいくという点も重要です。詳しいことを知りたい方はこちらをお読みください。

世界はひとつの教室 [Kindle版]
 
すなわち、何を学ぶかは子供に委ねるのです。こういうと教師がいらなくなる。という人がいますが、私はそうは思いません。コンピュータ相手の自学自習ではやはり限界があります。成長を上手く導く大人すなわち教師が必要です。また子供が興味のあることしか学ばないとなると、本来必要となることが抜けてしまう可能性もあります。そうしたもの埋めるべくアドバイスをしたり、学びを助けたり、また新たなキッカケ、キーワードを与え、子供の知りたい、学びたいと思う気持ちを刺激するのです。

また、私がカーン氏に大きく共感するのは「どんな子供も本当は学びたがっている」という点です。ただ、そのキッカケや環境がなく、また学び方を知らないからやる気がなく見えるのだと思うのです。入口の躓きさえ取り除いてあげれば子供たちは自分でどんどん学習していくはずです。こういうことは小学生でも十分できるはずです。

だってみんなポケモンをはじめとするゲームに対しては研究熱心じゃないですか。大人に教えてもらわなくても子供同士で情報交換し合って上達しています。面白い、楽しいと思えば子供は勝手に学ぶのです。

そして、そのためには入口は一つではなく子供の興味に合わせて沢山の入口を用意しておく必要があります。興味を持ったところから世界を広げていくのです。何に役立つかわからないのに学校行ったからといって勉強しなければならないというのではなかなか興味も持てません。

例えばこういうこと
先取り教育 どうせやるなら理科・社会 世の中のことを知ることが先だ!
先取り教育には電車が最強

これはあくまで我が家の事例で具体的にはそれぞれ異なるでしょうけど、考え方としては学びたい、知りたいと思う気持ちをはぐくむことが大事であるということ。そして学べる環境を与えるということ。ICTの活用はそこに大きな可能性を秘めていると思います。

もちろん、今の教育システムがすぐにこんな劇的に変わるとは思いません。教育現場ではまだその必要性さえ理解されていないと思いますし、今取り組もうとしている反転授業でさえ大きな変化です。

学校レベルで変わっていくにはまだまだ時間が掛かりますが、個人レベルでは今日からでも変えていけます。ただカリキュラムをこなすのではなく自ら学ぶ。そして学べる環境が整いつつあるということ。少し意識を変えるだけで実現が可能になっています。

小学校入学前に身に付けておきたいことというと、一般によく言われるのがひらがな・カタカナの読み書きができるかどうか、一桁の足し算、引き算ができるどうかといった辺りで、それ以上を求める声はほとんどありません。しかし、この目安もできる必要があるという人がいる一方で、できなくてもよいという人もいて意見は分かれるところであります。

できる派の人の意見は「できないと授業についていけない」といい、できなくてよい派は「3ヶ月で追いつくから問題ない」というのです。どちらが正しいのでしょうか?

おそらく両方とも正しいのでしょう。これら意見は自らの体験を元に言っていることが多く、実際にそうであった以上は誰も間違っているとは言えません。 ただ言えることは、入学前に読み書きや計算ができるか否かはその後の学力の伸びとは直接は関係ないということです。すなわち読み書きや計算は必ずしも身に付けておかなければならないというものではないのです。

こう書くと「読み書きできる方が有利にきまってる」という反論が来そうです。確かに有利です。もちろん中にはその差を維持・広げながら伸びていく子もいるでしょう。しかしその一方で入学当初の有利を維持できず落ちこぼれていく子もいるのです。

私が言いたいのは、読み書きや計算力を目安に考えるのではなく、他にもっと大事なことがあるということなのです。それは何か?

それは学習に対する意欲、すなわち知的好奇心を持ち合わせているかどうかだと思います。もしそうしたものを持ち合わせていれば、たとえ入学時点で字が読み書きできなくても、きちんと習えばあっという間に習得していくと思いますし、一方で読み書きはできるけど知的好奇心が乏しければその後の成長は鈍くなるのも当然です。また、自主性、自発性も大事です。親に言われなければやらないというのではなかなか伸びていきません。

ではそのような知的好奇心はどうようにすれば身に付けられるのでしょうか?「これ」と言った答えはないのかもせいれませんが、一例として我が家の例を紹介します。

先取り教育には電車が最強

ただ、こうした取り組みは即効性がなく、時間が掛かります。小学校入学まであと3ヶ月。それでもせめてひらがな、カタカナ、10までの数を覚えておいて欲しいと思ったらアプリゼミがおすすめです。

アプリゼミやてみました。

スマホのアプリで楽しく学習できます。

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