安保法案をめぐる国民的な議論の中で見えてきた構図で「情と理の対立」、「理想主義と現実主義」の2つはよく語られていますが、私はここに「戦後のままでいたい人、戦後を終わらせたい人」という視点を付け加えたいと思います。


今回の安保法案は先に発表された戦後70年談話とリンクしていることは言うまでもないと思います。この談話は多くの国に評価され、国民からも一定の支持を得ています。一方、安保法案については多くの国に評価されましたが、国内では法案成立をめぐって混乱してしまいました。


このように国内外で違いが生まれたのは、70年談話に対する見方が諸外国と日本国民で異なったからだと思います。


安保法案を評価した諸外国が重視した談話はこの部分です。


我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。


「積極的平和主義」、これを具体的に法律に落とし込んだのが今回成立した安保法案です。多くの国が安保法案を評価するのは当然のことです。


一方、我々日本国民が談話の中で重視したのはこの部分です。


日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。


要は「もう謝りません」と宣言したわけです。ここ数年、執拗なまでに歴史認識について攻撃してきた韓国に対して疲れ果てていた日本の多くにとっては「よくぞ言ってくれた!」というところではないでしょうか。しかし、その一方で「積極的平和主義」についてはさほど関心がなかったのではないかと思います。


国内のこうした感覚を簡単に言えば、「もう謝らないけど、世界の平和への貢献については今まで通りにしたい」ということではないでしょうか。しかし、それでは世界は受け入れてくれません。


もし、70年談話から「積極的平和主義」が抜けたら、この談話を評価してくれた多くの国は談話に対して無関心になるでしょう。そして「謝らない」と宣言したことにより中韓から更に執拗な攻撃を受けることとなり、残念ながら日本は世界の中で孤立してしまうのです。


実は、「謝らない」ということと「積極的平和主義」はセットなのです。未来に向けて一歩を踏み出すということはそういうことなのです。こうした考え方を支持する人を私は「戦後を終わらせたい人」と呼びたいと思います。
 

一方、安保法案反対派の人が「これから先も謝り続けなければならない」と主張するのであれば、その賛否はともかくとしても一貫した主張と言えます。こうした考え方の人はすなわち「戦後のままでいたい人」なのです。


そして大半の人はその中間の「謝りたくない」けど「安保法案もちょっと不安」というところにいんだと思います。更にはこの2つは関連しているという認識が薄いと思います。


政治的主張の強い人はここでいう「戦後のままでいたい人」に多く、そういう人達が安保法案反対派の先頭にに立っています。戦後のままでいるということは現状維持ですから、変わることに何となく不安に思う普通の人は変わることを無意識のうちに恐れ、そちらに引きずられてしまっているのです。


ちなみに中国も韓国も日本には戦後のままでいてほしいと思っています。すなわち日本には永遠に謝り続けてもらいたいのです。少なくとも今の政治体制が続く以上はそれを要求してくるでしょう。


我々一般人には安保法案の細かい内容について全て理解するのは不可能です。そんなに簡単なら専門家は不要でしょう。違憲か合憲も実際にはなかなか判断できないものです。そしてそもそも、そういした細かい議論は専門家に委ねる範囲であり、一般の有権者にとっては重要なポイントではないのです。


有権者が選択するべきは、「戦後のままでいつづける」か、「戦後を終わりにする」かであり、それはすなわち中韓に対し「謝りつづける」か、「謝るのを終わりにする」か、また同時に「消極的平和主義」と「積極的平和主義」か、こうした大きな方向性であるべきなのです。
 

専門家の議論と一般有権者の議論が渾然一体となってしまっている現状を整理しなければ、いつまでも不毛な議論が続くだけではないしょうか。