Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

2014年07月

昨年末に小学校での英語の教科化・前倒しが発表されてからしばらく経ちますが、この間ネット上でも様々な意見が見受けられ、また、文科省の有識者会議も回を重ね現状の問題点や目指すべき姿など様々な観点から議論されています。

しかしながら、未だに小学校から英語を学ぶことに否定的、消極的な意見はとても根強いものがあります。 「日本語が大事だ」、【中学からでも十分身につく」、「英語だけできてもしょうがない」など、一見すると確かにその通りと思える意見です。それら一つ一つの意見は決して間違っているわけでもありません。ただ、それらは小学校でやることを否定する理由にはならないと思うのです。

英語は中学からでは遅い

 英語を中学校から始めても身に付か否かと問われれば、身に付くと思います。事実、英語を話せる今の大人のほとんどは帰国子女を除けば中学から学び始めた人です。時期的な目標を設定せずに単に身に付くか否かという観点で考えれば、中学校から始めても問題はないのです。

それでも私が中学からでは遅いと考える理由はいくつかあります。

まずは効率が悪い。これまで、日本において英語を勉強する一番の理由は大学受験です。中学で基本的な文法を学んだあとは高校でも英語を当然やるのだけれどもその中心は受験対策になります。そうすると、実用的な英語の習得よりも受験対策に偏ってしまい、更には受験が終われば忘れてしまって全く身に付いていないということになるのです。そしていざ話す必要性が出てきたときに最初からやり直して「英会話は中学英語で十分」ということになるのです。これは前回も述べたことです。もう少し中学英語と受験英語の間にある空白地帯を埋めてあげれば修得もスムーズになると思うのです。

また、大学入試改革も検討されているようではありますが、私は受験のために英語の学習に時間を費やすということ自体に無駄を感じるのです。これは「英語だけできてもしょうがない」という意見に通じるものがあるのです。高校時代は英語の学習をするのではなく、英語で学習するという状況を作っていくべきだと思うのです。特に数学や物理・化学など自然科学の分野は英語を取り入れていくべきだろと考えます。

文科省も高校の英語の授業は英語で行うことを目標としているので、方向性としては同じと思います。

そうなると中学卒業の段階である程度の会話能力が身に付いていなければならなくなります。果たして中学から英語を始めてその域まで修得することができるでしょうか?英語漬けにでもなれば可能かもしれませんが、現実的ではありません。小学校に前倒しする理由はこれなのです。

このままでは教育格差が広がる

ことあるごとに格差拡大は批判の的になるのですが、英語教育の格差拡大には寛容な人が多いことに驚きます。かつて我々が育った時代は、自分の競争相手は日本に住む同じ年の人だけでした。英語も中学校に入ってからよーいドンで始めるのです。これであれば何も問題がありません。

しかし、今は、少し教育に熱心だったり、裕福だったりすれば幼児期から英語教室に入ったり、教材を買ったりと何かしら小さい頃から英語に触れていくのです。もっとも、それで皆が話せるようになるわけではありませんが、スタート地点に大きな差ができているのです。さらには私立の小学校などで英語教育に熱心なところに入れば更に差が広がります。

それでもまだ日本人だけが相手なのであれば大多数の人はよーいドンでスタートできます。

ところが、今の時代はグローバルな時代です。競争相手は日本人だけではないのです。同世代の非英語圏(特に新興国)の人たちは高校生くらいになればかなり英語を話せます。特に大学へ進学するようなエリート層は英語は必須科目でしょう。

少子化により学生数の減少に歯止めをかけるために留学生の受け入れに必死の日本の大学のターゲットはこうした新興国のエリート達です。優れた大学ほどこうした優秀な留学生を集め、日本の学生と切磋琢磨し成長していくのです。日本に来た留学生たちは皆優秀ですからもちろん日本語も覚えるでしょうけど、同時に英語も十分に使いこなせるのです。グローバル化を目指す日本の大学も授業を英語で行う方向に進んでいます。

こうなると、英語のできない日本人は日本人だけが集まる大学へ行って閉鎖的な雰囲気の中で日々を過ごすしかありません。それはある面では心地の良いものかもしれません。しかし、その環境では決してグローバルとか多様性といった時代が求めるものを学ぶことはできません。ガラパゴス化が進むだけです。

このままでは小中高と公立に通う子たちは、私立に通い英語を身につけてくる子と大学に入学する頃には圧倒的な差がつき、グローバルな環境で切磋琢磨する資格さえ与えられなくなるかもしれないのです。

もちろん、全ての人が大学へ行くわけではありません。しかし、だからと言って小学校での英語に反対するということは、大学へ行きたいと考えている子供たちの可能性を潰すことになるのです。公立出身では大学進学は諦めた方が良いなんてことになりかねません。それでも大学進学への意志がない人達に配慮するのであれば、英語は選択式にすべきでしょう。私は小学校の時点でその選択をさせるのは決して良いことだとは思いませんが。

教える側の体制不足はICTの活用で補え

教師の力量不足など教える側の体制が整っていないことを理由に反対する意見も多いですが、それは子供たちが英語を学ばなくて良い理由にはならないと思います。もちろん様々な課題が山積しているとは思いますが、それでも一歩づつ進めていくべきです。週一では意味がないとも言われます。たしかにそうでしょう。しかし、英語の授業があるかないかは子供たちに対して「英語は学ぶ必要があるもの」というメッセージなのです。ないものねだりをしても始まりません。今あるなかで何ができるか知恵を絞るべきでしょう。

そこで活用すべきはICT、デジタル教材です。 最近はデジタル教材も注目されていますが、様々な教科の中で最も相性が良いのが言語学習だと思います。それは外国語だけでなく、母国語も含めてそう言えると思います。ことばの修得は突き詰めていくと反復練習です。単語アプリで単語を覚え、動画でお気に入りの話を毎日繰り返し見ればどんどん覚えていきます。そして、週1回とか2回とかアウトプットの機会を設けて上げれば更に定着していくはずです。スマホが言葉の発達に与える影響についてはこちらの記事を読んでいただければと思います。

授業はアウトプットの機会なのです。とはいえ日本人の先生では英語が話せないし、ALTも十分に用意できないというかもしれません。そこはICTの出番です。ネットでつなげばALTを確保できない地域でも近い環境で授業ができます。そして、年に1回くらいはリアルで授業ができるような機会を設けて上げればよいのではないでしょうか。

まとめ

英語を必要とする時期が前倒しされている以上、学び始める時期も前倒しするのは当然でしょう。そして、ICTの発達により言語を修得するハードルはどんどん下がっています。こうなると小学校で英語を学び始めることを反対する理由はあまりないと思うのです。

他の教科の学習時間が減るという声もあるかもしれません。時間が足りないなら減らせば良いのです。計算練習も漢字の書き取りも今やあまり時間をかけてやることではありません。少なくとも学校の授業でやることではないと思います。こうした答えの決まっている反復練習はデジタルに任せればよいのです。

こう考えてくると小学校の英語授業の前倒しというのは、ICTの活用やアウトプット重視など21世紀型教育への転換の試金石に思えてきました。

 

よく英会話について「中学英語で十分」ということが言われます。これは果たして本当でしょうか?私は厳密には中学校で習う英語だけでは不十分だと思います。しかし、ここで言う中学英語とは必ずしも中学校で習う英語という意味ではないのです。この違いは英語ができない人にはなかなか理解できない部分だと思うので、ここではそれを考えてみたいと思います。

まず、そもそもなぜこのようなことが言われるのでしょうか?それは大学受験を頂点とする日本の英語教育の歪みが出ているからです。私が中学、高校の頃は文法重視、読解重視の学習でした。大学受験ではかなり難解な文章を読むこともありました。にも関わらず、社会人になって英語を話さなければならない場面では一言も話すことができないのです。こうした経験は私だけではないでしょう。

そこで、英会話を一からやり直すために市販のテキストを買ってみたり、NHKの英語講座を聞いてみたりするのです。最初は中学校の初歩の初歩に戻るわけです。大学受験から比較すると極めて簡単な英語です。しかしその簡単な英語が話せなかったのです。「簡単な表現で話してみよう。」これが「中学英語で十分」の第1段階です。

そして、よく使う表現などを覚えてくると、会話ではhaveとかmake、get、takeといった中学校で習った単語をよく使うということに気付くのです。英会話のテキストではhaveとかmakeの使い方がほとんどと言っても過言ではないくらい使います。これが「中学英語で十分」の第2段階です。

この第2段階が曲者です。それらは中学校で一部を学ぶことはあっても全てを習うことはありません。その後も高校や大学受験で重点的に覚える項目ではないのです。すなわち、単語は中学で習うものあっても、その使い方は中学英語で習う範疇を超えたものなのです。日本の英語教育の空白地域と言えます。

大学受験で単語帳を見ながら一生懸命覚えた単語は受験が終了すると同時にキレイに忘れ、しかもいざ英語を話さなければならない場面で使う単語がhaveとかmakeで十分となれば、「英会話は中学英語で十分」と言いたくなり、更には「受験英語なんて役に立たない」となってしまうのです。

私自身は受験英語を全て無駄とは思いません。ただ、非常に効率が悪く、ずいぶん遠回りしたな。という感想を持っています。ただ、それは今の時代を考えてという前提の話で、外国人と話す機会がほとんどなく、英語を学ぶ理由が外国の論文を読むためのものだった時代においては、会話を捨て、文法や読解に特化した教え方は、当時としては効率的だったと言えるかもしれません。 今は会話力も求められるので、それに応じた学習方法に変えていくべきだと思います。

言葉というのは、母国語であれ外国語であれ、最初は単語から、徐々に2語、3語と連なった文章で話せるようになるのです。いきなり長い文章を流暢に話せるようにはなりません。まずは単語レベルで声に出してみることがスタートです。

そして中学英語で十分かどうかは、あくまで最低ラインというように考えるとよいでしょう。母国語で例えるとせいぜい幼稚園の年長か小学1年生程度の会話力だと思えばよいのではないでしょうか。言いたいことは伝わりますので最低限のコミュニケーションは取れるでしょう。しかし立場が変わり、会話のレベルが上がっていけば、それに応じた表現力を身につける必要があります。学生が社会人になっていつまでも学生言葉では困りますが、それと同様です。立場に応じた話し方ができるようになった方が良いに決まっています。ただ、そこまで求めるかどうかは人それぞれですし、それこそ必要になったときに学べばよいと思います。

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