Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

2014年02月

先週もベネッセからDMが送られてきたことは書いたばかりですが、昨日のまた送られてきました。しかも今回は内容がひどい。入学前の子供の不安を煽るようなものになっているのです。

おおまかなあらすじはこうです。コラショとキッズとラッキーの3人に加え、小学校入学を間近に控えた子供たち3人が、不思議な鏡の向のちょっとだけ未来の世界を冒険するのです。そこには小学校に入学した自分たちの姿がありました。子供たちは小学校に入ってもうまくやっていると信じていたのですが、そこで見た姿は自分が思い描いていたものとは違ったのです。

一人は朝が起きれず遅刻する自分の姿を目撃します。一人はカタカナの書き順を間違えている自分の姿に落胆します。そしてもう一人は計算が出来きない自分の姿を見ます。3人は自分の想像とは違う小学校生活を送っている自分の姿を見てショックを受けて元の世界に戻ります。

元の世界に戻った子供たちはどうすればいいのだろう?と悩みます。そこで間髪入れず「チャレンジ1年生をやれば大丈夫」となるのです。チャレンジに取り組むことにした子供たちがもう一度鏡の向うに行ってみると、遅刻もせず、カタカタもバッチリ、計算もバッチリでテストも100点。「カッコいい1年生」になった自分たちの姿を見るのです。

今まではどちらかと言うと親の不安を煽るようなもので、その対象はあくまで親でした。それが今回は子供に向けられているのです。小学校入学を控え、期待に胸を膨らませつつ少し不安もあるであろう子供達に、直接的に不安を煽り教材を勧めるようなやり方は許容されるものではありません。もし玩具やゲームでこのような表現でCMをすればクレームの嵐だと思います。教育目的であれば許されるのでしょうか?私はそうは思いません。またむしろ、教育上もこのような勧誘方法は悪影響を及ぼすと思うのです。

まず、学びに対する動機付けとして不安を煽るというやり方に疑問を感じます。もし、子供の教育を真に考えるなら、自ら知的好奇心から学びたいと思うようにしむけるべきです。なぜならば、そうでなければ長続きしないからです。このDMのような動機付けではテストで100点取ることが目標になったり、他人に認めてもらうことが目的になってしまうと思うのです。そういう方法ではいつか息切れしてしまいます。

このような勧誘方法では、教育を事業の中核と据えながら、真に教育を考えるのではなくあくまで商売優先というイメージを持たれてもしかたありません。

先日も紹介した記事によるように、ベネッセ自身も、ここのところの会員数の落ち込みからDMにも問題があることに気付いているようです。

商売である以上、利益を出すことは大事でしょうけど、利益ばかりを追い求めると顧客が逃げていくこともあります。教育も時代の変わり目を迎えています。教育業界の巨人には是非その先頭に立って変えていっていただきたいと思います。そのためにもチャレンジタッチはiOSや一般のAndroid端末でも使用できるようにしてもらいたいものです。

ビッテは8歳にして6ヶ国語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語、英語、ギリシャ語)を覚えたそうです。とはいっても、ビッテはドイツ人で母国語はドイツ語です。同じヨーロッパの言葉であれば似通ってる部分が多いので、我々日本人が外国語を学ぶよりかははるかに敷居が低いという違いがあります。

従って日本に済む普通の日本人には簡単に前できるものではありません。ですので、この項に関しては真似する必要もないと思うのですが、外国語学習において参考になる部分もあるのでそれを紹介したいと思います。

母国語のレベルが高い
これが最も重要かもしれません。外国語の習得レベルというものは母国語以上にならないと言います。ビッテは6歳の頃からフランス語を学びはじめたそうですが、1年ほどで本をスラスラ読めるレベルになったといいます。1年という短期間でそこまで習得できたのは、母国であるドイツ語のレベルがそれ以上に高かったからだといいます。

昨今、日本では幼児期からの英語教育なども注目されていますが、将来、高い英語力を身に付けてもらいたいと思うならば、母国語である日本語もそれ以上に身に付けていかなければならないのです。

知ってる話を他の国の言葉で読む
初めて聞く話を知らない国の言葉で話されたら理解できないどころか、聞くのもイヤになってしまいます。ビッテの父はそこでまず、ビッテに母国で話の筋をしっかりと理解させ、その上で外国語に取り組むようにしたそうです。少なくとも話はわかっているので、あとは話の筋に合わせた言葉の意味を想像しながら読み進めていくのです。

これもヨーロッパ語同士だからできるのではないかとも思うのですが、それでも外国語を学ぶときはまず日本語でその話のあらすじを抑えておいた方が理解が早いかもしれません。

こういうときに役に立つのがデジタル絵本です。多言語対応したものもあるので一つ入れれば日本語と外国語の両方で聞けるものもあります。

たとえばこんなアプリ

it's me! ピーターパン
 
うちの娘のお気に入りのひとつです。 こうしたものを活用することで、従来よりも効率的に英語が習得できるのではないかと思います。

偽ベートーベンこと佐村河内守の騒動は「聴力が回復した」という誰が聞いても嘘の上塗りにしか思えない発言でまだまだ収まりそうにありません。その真偽はともかくとして、なぜこうも簡単に「全ろうの作曲者」などという嘘に騙されてしまったのでしょうか?何も知らない一般人ならまだしも、音楽の専門家までも騙されてしまっているのですから不思議です。

私はこの騒動の前は佐村河内守という名前は知らず、ゴーストライターの存在が明らかになった最初の2月5日のニュースで初めてその存在を知りました。
公式サイトなどによると、佐村河内さんは4歳からピアノを始め、作曲を独学。「バイオハザード」「鬼武者」などのゲーム音楽を手掛け注目を集めた。35歳で聴力を失った後も絶対音感を頼りに作曲を続けたという。

 被爆者への思いを込めたとされる「交響曲第1番」は、平成20年に広島市で開かれた主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)の記念コンサートで披露された。23年にCD化され、クラシック界では異例の10万枚以上の大ヒット。「現代のベートーベン」と呼ばれ、テレビや新聞でも取り上げられた。
この記事を最初に読んだときに直感的に「ゲーム音楽の作曲者?その人が両耳が聞こえなくて現代のベートーベン?本当かよ?」と楽曲のレベルも「全ろうの作曲者」という設定も疑いました。ちなみにこの時点では佐村河内とゴーストライターでどの程度の作曲の分担が行われていたか不明でした。こんな事をいま言っても後出しジャンケンになってしまいますが、こんな騒動になる前にその存在を知っていたとしても私は疑って掛かったと思います。

まず、「現代のベートーベン」と称されていたようですが、本家ベートーベンは少なくとも音楽人生の大半は全ろうではなかったはずです。聴力に何らかの障害があったようですが、全く聞こえないということではなかったのです。私が小学生の頃に読んだ偉人伝でもだんだんと耳が悪くなっていき、第九の初演を終えたときには観客の拍手が聞こえなかったというような描き方をされていました。

恐らくこんな感じの本だったと思います。


意外に誤解している人も多いようですが、ベートーベンは決して全ろうではなかったのです。難聴の原因やどの程度音が聞こえていたかはわからないようですが、少なくとも自分で楽器を演奏したり、他人の演奏を聞いて論評をするなどのエピソードもあり音が全く聞こえなかったわけではないようです。

また、難聴といっても様々なタイプもあるようで、実際に会話は困難でも音楽鑑賞はできるといった例も多くあるようです。(難聴の種類についての説明はこちら

楽曲についても、本家ベートーベンの方は難聴を自覚するようになった20代後半には既に後に名曲と呼ばれる曲も書くなど音楽家として名を馳せていたのに対し、偽ベートーベンの方は映画音楽やゲーム音楽を手がけたとして多少知られていたようですが、本家と比べるとその違いは歴然です。

私は全く知らないと思っていた佐村河内の作品(もちろん実は新垣氏作)ですが、実はゲームでよく聞いていたようです。それは出世作となったバイオハザードや鬼武者です。

当時、夢中になってプレイしていたのでゲームについての記憶は鮮明に残っているのですが、音楽についてはほとんど印象に残っていません。ゲームの雰囲気に合った曲ではありましたが、それ以上に心に響くものではありませんでした。

たかがゲーム音楽といえども、オリジナリティーのある作品であれば心に残るものです。例えばゲーム音楽というジャンルの確立に大きく影響したゼビウスやマッピーといったナムコのゲーム音楽は知る人は皆が認めるであろう名曲です。そしてドラゴンクエストです。一大ブームとなってオーケストラバージョンのアルバムまで発売されました。ゲーム音楽とオーケストラが結びついたのはこれが初めてだったのではないでしょうか。

しかし、こうしたゲーム音楽もオリジナリティが感じられたのはファミコン時代に電子音のみで表現されたからだったと思うのです。もしドラクエのテーマ曲も先にオーケストラがあったとしたら、さほど新鮮味はなかったと思うのです。

それに対しバイオハザードや鬼武者の頃のゲーム音楽はゲーム機本体の性能向上により本格的なオーケストラやバンド演奏が用いられるようにになりました。 その結果、非常に豪華で派手な音楽になったのですが、それに反比例してオリジナリティは消滅していきました。これは佐村河内の楽曲だけでなくゲーム音楽全体に言えたことだと思います。次から次へと発売されるゲームタイトルに合わせて様々な曲がありましたが、どれも似たり寄ったりでどこかで聞いたことのあるようなものばかりでした。ゴーストライターとして告白した新垣氏も認めるように、作曲の心得がある者であれば誰でも作れるような音楽だったのです。 

このように冷静に見てみると、音楽家として完全に亜流を進んで来た佐村河内が、突然音楽界の本流から評価を受けたというのは、「全ろうの作曲家」という触れ込みが大きく影響したことは間違いないでしょうし、また、その感動話で売り出したい売る側の論理が先行したためであることは疑いもないでしょう。常に音楽界の真ん中を突き進んできた本家ベートーベンとは雲泥の差です。

更には問題が発覚して以降、佐村河内の友人、知人などから彼の嘘を裏付けるような証言が多く出てきています。これは、ジャーナリストがその気になって取材をすれば彼の嘘をいつでも暴けたと言っているようなものです。 

レコード会社も被害者のようなコメントをしていますが、もし本当に騙されたのだとすれば、その真贋を見極められなかったのですから廃業した方が良いのではないかと思います。そして安易に「現代のベートベン」と言ったマスコミも同様でしょう。プロとして失格ではないでしょうか。こうした人たちに通じるのは、結局は売れてなんぼという商業主義です。私は常々ビジネスは決して悪いものではないけれども、悪意を持って売りつけてくる人たちもいるということを言っています。今回の件もその類です。最後にそれを見極めるのは自分自身です。

そうは言ってもなかなか物事の真贋を見極めるのは難しいものです。しかし、それでも常に世間で言われていることは本当なのか?と問いかけるクリティカルシンキングすなわち批判的思考というものは持ち合わせておくべきだという良い一例だと思います。そして、これを期に聴覚障害者についての理解を深めるべきでしょう。先程も述べましたが、聴覚障害の種類についての説明があります。是非読んでいただけたらと思います。
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