Nobu's blog トレード日記

子育て日記としてスタートしましたが、子供が大きくなってくるとネタも少なくなってきたので路線を変更。FX、為替関連の中心に書いていきます。タイトルもトレード日記に変更。

今年も新年早々から相場が荒れ気味のようです。話題をさらったのは何と言ってもビットコインでしょうか。最高値更新からの暴落やそれに巻き込まれた有名ブロガーなど話題は豊富です。

私は金融関係の素人なんですが、それでもここ数年、金融市場に参加し日々勉強しており、かれこれ4年目となり何となくではありますが自分なりの方法、考え方が見えてきた気がします。と言っても、これまでの運用成績は散々たるものですが(涙)あ、ビットコインは手を出していません。見てるだけです。

最近はトレード方法を見直すなど研究の甲斐あってコンスタントに利益を上げられるようになってきました。そして昨年の12月には初めて月間でプラス。1月も相場の乱高下に振り回されることなく順調に利益を積み上げています。とりあえず3ヶ月連続のプラス益を目標に頑張りたい。

よく言われるような投資か投機かというような区分けで言うと、私がやってるのは明らかに投機ですが、私自身はその区別にはあまり興味がありません。大切な事はいかにコンスタントに利益を上げることができるかどうかだけです。 

何か事業に投資したとしても、その事業がポシャればその資金は回収不可能になるわけで、その意味では常にリスクはつきまといます。今の時代は上場企業とて例外ではなく、長期投資をするなら自分の見る目を養う必要があります。そういうことは個人的には非常に難しいと感じています。

それに比べれば日々の動きを見ながら買ったり売ったりする方が研究に費やす労力が少なく、利益を上げられる確率が高いと考えています。 

投資は善で投機は悪という捉え方をする人も多いかと思いますが、確実に利益を上げられるならどちらでも良いと思いますし、例え投資でも失敗すれば意味がありません。事業に失敗続きの人っていますよね。競馬やパチンコだって勝ち続ける人は勝ち続けます。要は自分にとって何が適しているかだと思います。そして結果が全てです。

額に汗して働くことが尊いというのには賛同します。ならば肉体労働者の賃金をもっと上げてやってください。私も本業はそっち系なので。

でも現実にはなかなかそうなりません。

パクリ記事をばらまいて莫大な広告収入をあげる会社やフェイクニュースを拡散する会社の方が高給取りなのです。

それに比べれば投機でちょっばかり儲ける方が健全だと思います。

かつて自動車のエンジニアだった頃は実験結果とにらめっこしながらその不規則なグラフから法則性や異常を見つけることを生業とし、その後、実家の会社経営に携わるようになってからは経営データとにらめっこしながら自社の強み弱みを分析し、経営判断を下していくということをやっています。

それらが為替チャートに置き換わったというだけで、私は元来ああいうグラフを眺めているのが好きなのかもしれません。最近そう思うようになってきました。



しばらく途絶えていたブログであるが、息子がプログラミングにチャレンジすることになったのでこれを機に再開してみようと思う。

息子は現在小学校3年生。プログラミングにはまだ少し早い気もするが本人がやる気なので挑戦してみようと思う。彼がなぜプログラミングに興味を持ったのか?それは人気ゲーム、マインクラフトのMODを作りたいからだそうだ。

彼は当初、自力でMODの作り方を調べ、MOD作成にはjavaを覚える必要があることを突き止めた。そして「javaを覚える!」と意気揚々と語っていた。しかしながら様々なjava入門サイトを調べたものの、当時小2の彼の理解力で は太刀打ちできず、あっさりと諦めていた。

一方、私のプログラミング歴はほとんどないといって過言ではないくらいである。小学生の頃にBASICを少しかじり、大学の卒論ではFOTRANで応力モデルを作ったりしたのであるので多少の経験はあるものの、まったくの素人と言ってよいレベルである。

それでも入門書を読めば書いてることは理解できるし、まったく未経験の子供に教える程度のことはできそうである。一緒に勉強するつもりでチャレンジしてみようと思った次第である。

子供向けのプログラミングと言えばScratchが有名なので私も少し触ってみたが、正直、少し物足りなさを感じた。後々調べるとRaspberry Piと組合せるなど、それなりに色々できるようなので優れた学習教材であることは間違いないと思うが、一瞬でハマるような魅力を感じなかった。Web版でモッサリしていたのも一因かもしれない。

一般的に子供にプログラムを教える場合にはキーボード入力が壁となるが、うちの子の場合はその壁がないのでわざわざScratchを経由せずとも普通のプログラミングの学習に入ることができるのが強みである。

ということで早速javaにチャレンジ!かと思いきや、選んだ言語はC言語。

理由はいくつかあって、私がjavaは未経験だけどCなら少しだけかじったことがあるということ、わかりやすそうな入門用サイトがあったこと、サンプルプログラムが多くあること、 Cから入れば後は楽?と思ったこと、くらいか。

私がプログラミングに挫折したのは根性が足りなかったから、情熱が足りなかったから、など多くは自分の側に問題があったのは間違いないのだけれども、当時は子供でも理解できるような参考書は少なかったし、周りの大人に詳しい人がいなかったというのも大きいと思う。もちろん一番は自分の努力、情熱不足だけども、周りに詳しい人がいないと情熱の火も消えやすいという意味で環境は大事だと思う。

今回、私がわかりやすいと思ったサイトでさえ、子供の理解力では難易度が高く、大人のサポートが必要だし、せっかく興味を持っても誰も助けてくれなければ情熱も冷めてしまうもの。初歩の段階である程度の助走をつけてあげればあとは自分で勝手に学んでいくのではないかという期待を込め、MOD作成へは遠い道のりだけれども、千里の道も一歩から、しばし付き合ってみようと思う。




安保法案をめぐる国民的な議論の中で見えてきた構図で「情と理の対立」、「理想主義と現実主義」の2つはよく語られていますが、私はここに「戦後のままでいたい人、戦後を終わらせたい人」という視点を付け加えたいと思います。


今回の安保法案は先に発表された戦後70年談話とリンクしていることは言うまでもないと思います。この談話は多くの国に評価され、国民からも一定の支持を得ています。一方、安保法案については多くの国に評価されましたが、国内では法案成立をめぐって混乱してしまいました。


このように国内外で違いが生まれたのは、70年談話に対する見方が諸外国と日本国民で異なったからだと思います。


安保法案を評価した諸外国が重視した談話はこの部分です。


我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。


「積極的平和主義」、これを具体的に法律に落とし込んだのが今回成立した安保法案です。多くの国が安保法案を評価するのは当然のことです。


一方、我々日本国民が談話の中で重視したのはこの部分です。


日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。


要は「もう謝りません」と宣言したわけです。ここ数年、執拗なまでに歴史認識について攻撃してきた韓国に対して疲れ果てていた日本の多くにとっては「よくぞ言ってくれた!」というところではないでしょうか。しかし、その一方で「積極的平和主義」についてはさほど関心がなかったのではないかと思います。


国内のこうした感覚を簡単に言えば、「もう謝らないけど、世界の平和への貢献については今まで通りにしたい」ということではないでしょうか。しかし、それでは世界は受け入れてくれません。


もし、70年談話から「積極的平和主義」が抜けたら、この談話を評価してくれた多くの国は談話に対して無関心になるでしょう。そして「謝らない」と宣言したことにより中韓から更に執拗な攻撃を受けることとなり、残念ながら日本は世界の中で孤立してしまうのです。


実は、「謝らない」ということと「積極的平和主義」はセットなのです。未来に向けて一歩を踏み出すということはそういうことなのです。こうした考え方を支持する人を私は「戦後を終わらせたい人」と呼びたいと思います。
 

一方、安保法案反対派の人が「これから先も謝り続けなければならない」と主張するのであれば、その賛否はともかくとしても一貫した主張と言えます。こうした考え方の人はすなわち「戦後のままでいたい人」なのです。


そして大半の人はその中間の「謝りたくない」けど「安保法案もちょっと不安」というところにいんだと思います。更にはこの2つは関連しているという認識が薄いと思います。


政治的主張の強い人はここでいう「戦後のままでいたい人」に多く、そういう人達が安保法案反対派の先頭にに立っています。戦後のままでいるということは現状維持ですから、変わることに何となく不安に思う普通の人は変わることを無意識のうちに恐れ、そちらに引きずられてしまっているのです。


ちなみに中国も韓国も日本には戦後のままでいてほしいと思っています。すなわち日本には永遠に謝り続けてもらいたいのです。少なくとも今の政治体制が続く以上はそれを要求してくるでしょう。


我々一般人には安保法案の細かい内容について全て理解するのは不可能です。そんなに簡単なら専門家は不要でしょう。違憲か合憲も実際にはなかなか判断できないものです。そしてそもそも、そういした細かい議論は専門家に委ねる範囲であり、一般の有権者にとっては重要なポイントではないのです。


有権者が選択するべきは、「戦後のままでいつづける」か、「戦後を終わりにする」かであり、それはすなわち中韓に対し「謝りつづける」か、「謝るのを終わりにする」か、また同時に「消極的平和主義」と「積極的平和主義」か、こうした大きな方向性であるべきなのです。
 

専門家の議論と一般有権者の議論が渾然一体となってしまっている現状を整理しなければ、いつまでも不毛な議論が続くだけではないしょうか。

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